takahisa


takahisa
【鷹の羽根】

執拗に爪や嘴を繰り出してきた雄鷹(おだか)も、ここまで来て、さすがに深追いを悟ったらしい。
初め襲い掛かかってきた尾根あたりからこの大鳥居までは、相当離れている。
鷹は怨嗟と怒気のこもった啼声を一つあげてから、尾根の向こうへ去っていく。

まずは、よし。

瞬く間に遠くなってゆく翼を見送りながら、安堵の溜息をつく。
落ち着いた途端、鷹につけられた幾つもの傷が、ぴりぴりと痛み始めた。しょせん禽獣の爪とはいえ、それなりに深い傷もある。

「っと……。中々に、酷い目にあったな……」

若き天狗・烏丸五郎丸鷹比佐は、手首に滲む血を舐め取りながら、一人呟く。声には戸惑う響きがある。
何故、と思い戸惑うのだ。

「鷹め、何故今日に限って、あんなに刃向ってきたのか……」

手荒く追い立てたわけではない。まして、弓を射掛けたわけでもない。
ただ例によって常の如く、巣の下に落ちている羽根を拾っていただけだ。

「まだ羽根はいくらも集めていないというのに……」

旧き(ふるき)より天狗にとって鳥の羽根は、なくてはならぬ業物であり、また、祭祀のための道具でもあった。
香木を焚いた煙で清め、虎の骸を燃やした煤で作ったとされる唐渡りの墨でもって一族相伝の呪(まじない)を芯に書き込む。
すると羽根は、天狗の意のままとなるのだった。
たとえば風や炎を呼ぶ羽扇に。 あるいは神域を穢す者を射る矢羽に。
時には投擲の小太刀にさえ容を変えることができる。
鴉の羽根でも日頃の用は足りるが、宿る力にやや劣り、何より清浄の気に欠ける。
今はやはり、鷹や鷲の羽根を一本でも多く集めたかった。
五郎丸一族が近く果たすべき『務め』のためにも。

鷹比佐は今一度溜息をつくと、目の前にそびえる大鳥居をくぐった。
ここから先は、五郎丸一族が護り仕える山の神の御座所。不浄の侵入を決して許さぬ神域だ。
修験道さながら細く険しい道の奥に、鷹比佐の帰る祠宇(しう)がある。
固く閉ざされた山門の前に立ち、年少の者を呼ばわった。

「帰ったぞ、背黄犀(せきせい)! 門を開け」

はい、と弾むような声と共に、閂を抜く音がする。
清々しく洗われた檜板の向こうから、頬にあどけない丸みを残した少年の顔が覗く。
背後に続く庭には筵が幾枚か敷いてあり、稗や粟といった雑穀が広げられている。
どうやら脱穀の作業中だったらしい。見れば、背黄犀の肩までの切り下げ髪にも、細かな殻くずが散っている。

「鷹比佐の兄者、お帰りなさい! 羽根は沢山取れましたか……おや……ええと……?」

背黄犀の目線は、鷹比佐から受け取った数本の羽根の上で、気まずそうに揺れた。
予想外の少なさを見て、何と言ったものかあぐねているのだろう。
心がそのまま顔に表れる背黄犀の幼さに、鷹比佐はつい苦笑した。

「今日は何故か、鷹の機嫌が悪くてな。羽根を集めていたら、嘴で突かれた」
「どうしたわけでしょうね? ……ああ、そうだ!」

ぽん、と背黄犀は手を叩いた。得意げに瞳を輝かせて、鷹比佐を見上げてくる。

「鳥はそろそろ卵を産む頃です。巣に敷く羽根を取られまいとしたのでしょうし、子を守ろうと気が立ってもいたのでしょう。
兄者、災難でしたね」
「ん? ああ……もうそんな季節か」
「そうですとも。陽向かいの斜面では、もう早咲きの桜の蕾が膨らみ始めています。兄者ならお気付きでしょう?」
「いや――今年は見ていない。忙しくてな」

ここ暫くは『務め』の準備に忙殺されて、鷹比佐にはまったく余裕がない。
五郎丸一族の次を担う若頭として為すべきこと、総覧すべきことは山積みだ。
桜がほころぶ時期となったというなら、神事に携わる者達も潔斎に入らなくてはならない。
あれこれ手筈を思い巡らせていると、ふと、哀しげに俯いている背黄犀に気付いた。

「どうした、背黄犀。急に黙り込んで」
「兄者……」

思い詰めた様子の背黄犀に、鷹比佐の胸はわずかに痛む。
そういえば随分と長い間、修練の相手をしてやっていない。
十二歳、呼吸によって気を整える技を身に付けさせたい年頃だ。
春になったら鷹比佐が得手とする杖術の手ほどきをしてやると約束していたのに、杖に手頃な樫の木さえ見つけていなかった。
ここ幾日かの背黄犀のもの言いたげな視線は、放っておかれる淋しさを訴えていたのか。
今さらながら鷹比佐は、一族で最年少の弟を哀れに思う。

弟と呼び、兄と呼ばれる背黄犀だが、しかし、鷹比佐と血脈の繋がりはない。
まだほんの赤子の頃、山に捨てられていたのを大僧正が拾ってきて、そのまま一族の天狗達によって育てられたのである。
当時の鷹比佐はまさに今の背黄犀の年頃で、夜に襁褓(むつき)を変えてやり、昼に匙で食を与えた。
背黄犀が初めて「あに」と人語らしきものを発したのは、鷹比佐の背に負われている時だったのだ。
長じてからの背黄犀もまた、鷹比佐を実の兄の如く憧れ、慕う。
そんな背黄犀が、鷹比佐にとっていとおしくないはずがない。 しかし今は、一族の大事なのだ。

課せられた『務め』――すなわち、神事を司る祭祀の役――を無事こなさねば、五郎丸一族の矜りは地に堕ちる。
東国一の天狗衆という誉れを奪わんと虎視眈々たる他山の天狗衆もあると聞く。
台頭著しい新興一派もあると聞く。
それらの者どもの前で見事『務め』を為し果たし、五郎丸一族ここに在りと示さねばならない。
そのための準備なら、どれほどしても過ぎるということはないのだった。

「背黄犀、暫くは我慢しろ。とにかく神事が終わりさえしたら、お前の相手もしてやれるから……」
「そんなことを言いたいのではありませんっ!」

背黄犀が噛み付くように遮った。 心が急くまま口をつくのは、鬱々として行き場を失っていた思いなのか。

「近頃の兄者はどうかなさっています! 鷹が子をなす時期も、山の桜が咲いたのも、
いつもの兄者なら、とっくに気付いておられたはずですっ」

ひらりひらりと舞う蝶も。
泉の薄氷が音もなく割れて、水が温んでいく様も。
季節の移り変わりを誰より早く察しては、ほら見てみろと教えてくれる兄。それが背黄犀にとっての鷹比佐だった。

それなのに。

「我ら天狗は山と共に生きてこそだと、兄者は教えてくださいました。
なのに今の兄者は、山の息吹を感じ取れなくなるほど心を奪われておいでです」
「背黄犀、言っただろう。今は祭祀をつつがなく執り行うために……」
「分かっておりますっ。此度のお役目がどれほど大切なものか、そのくらい……ですが……ですが兄者、そのようにうつろなお心で、
神降ろしなどできるはずがありません!」

「背黄犀!」

叱りつける声が出た。 背黄犀の言葉が思いがけず正鵠を射ていたから。
背黄犀が幼いなりに訴えた通り、確かに今の鷹比佐は、心を奪われうつろである。
魂が神に寄り添っていかない。山の霊気に同調できない。
そのせいで日々の鍛錬も、いっかな身についてこないのだ。

「……っ! ……ごめんなさい、兄者……。口が過ぎました」

羽根を抱えて背黄犀は俯いた。
素直な髪が震えている。 泣かせてしまったのだろうか。

まったく、この弟の涙には弱い。
泣かれれば何を措いても宥めたくなる。大僧正はじめとする年嵩の天狗達にも、常々甘いと言われている所以だ。
鷹比佐は眉宇を開き、そっと小さな頭に触れた。
背黄犀は一瞬びくりと身を震わせたが、打たれるのではないと悟って、されるがままになっている。
髪に絡む粟殻や稗殻を取ってやりながら、ゆっくりと諭すように語り掛けた。

「背黄犀、お前の言うことにも分はある。だがな。私は己が未熟と知っていればこそ、修行に打ち込み、神事に力を尽くしたい。
今はむしろ迷いの元となる心を封じ、さだめられた道を邁進する時だ。分かるな」

返事はない。 答えを促すために、俯いたままの背黄犀の顔を上げさせた。
頬に涙の筋こそないが、大きな瞳が溶けそうに潤んでいるのを見て、鷹比佐の胸は再び痛む。

「でも……でも兄者は傷だらけです……」

嗚咽を堪えた声で背黄犀が言う。 手に残る、鷹の嘴痕や爪痕。
これのことかと鷹比佐は笑い飛ばそうとした。

「ははっ。これしきの傷、何ほどでもない。放っておいても幾日かで消え……っ、う!」

いきなり顔に投げつけられた羽根。

「そんな傷じゃありません! もっと別の、兄者の肩や背中の……わ、私が、き、気付いていないとでも……っ」

背黄犀が身を翻した瞬間、ついに涙がこぼれ落ちた気がした。
引き留めようと伸ばした鷹比佐の手を擦り抜け、背黄犀は宿房へ走っていく。

「おい、こらっ。どこへ行く!」
「夕餉の仕度ですっ」

そのまま振り返ることもなく、背黄犀は建屋の奥へと去って行った。

「……夕餉の支度? まだ昼を過ぎたばかりではないか……」

足元に散らばった羽根を拾いながら、背黄犀が言いかけた言葉について考えた。
肩や背中、と。気付いている、と。
背黄犀が言っている傷というのは、もしや……。

「修練中に負った傷のことか……?」
「そうじゃ」
「うわっ!」

独り言に相槌が返ってきて、鷹比佐はせっかく拾い集めた羽根を撒き散らしてしまう。
振り向くと、そこには五郎丸一族の長が穏やかな顔で立っていた。

「だ、大僧正様っ!? ご無礼をっ」
「ああ、そう畏まらんでもよい」

片膝折って跪座の姿勢を取ろうとする鷹比佐をおっとりと押し留め、羽根を一本手渡してくれる。
恭しく受け取りながら、鷹比佐は内心で感嘆していた。

相変わらず、気配がない。
否。
ない、のではない。どこまでも己の気を鎮め、辺りの気に同化させてしまう。
山なら山に。海なら海に。町なら町に。
そしておそらく大僧正は、地獄にいるなら地獄の気にさえ染まってみせるだろう。
まるで息をするように、こともなげに。
大僧正の側近く寄るたび、鷹比佐は、遠く及ばぬ、と思う。
法力は無論のこと、若さにまかせた体術でさえも、この小柄な老人に敵わないのだ。
人の寿命を易々と超え、齢は数百年とも囁かれる大天狗と、己を引き比べることがそもそも大それている。
己を高める努力は必要だが、誰しもそれぞれ、持って生まれた器というものがある。
雀が鷹になれないように、鷹比佐は鷹比佐なりの器の内で切磋琢磨するしかない。

……そう思っていた。 ついこの間まで。

「鷹比佐よ。近頃おぬし、体術に打ち込んでおるようだの」
「はい。少しでも己を高くと思いまして」
「その意気や良し。しかしな、年長者の制止も聞かず、過ぎたる荒行に挑み続けるのは、如何にも愚かだぞ?」

ぐっと鷹比佐は答えに詰まった。
知られている。

相当な徳と技を積んだ者でさえ躊躇う苦行を繰り返しては、身体に大小の傷を負っていることを。
わずかな同志にしか告げず、その上で口止めもしたのだが、やはり大僧正に隠しおおせることなど不可能だった。
それどころか、背黄犀でさえ知っている。
去り際のあの言葉は、鷹比佐の無謀な荒行を詰るものだったのだろう。

「齢からすれば、すでにおぬしは並外れた力を備えておる。
だからこその若頭であり、神事に加わることも許された。何故急ぐ、鷹比佐よ」

何故だろう。 鷹比佐は自問してみる。

「……もっと強くありたいと、灼けつくように思うのです。誰より強くと」

東国一の天狗衆という誉れを奪わんと虎視眈々たる他山の天狗よりも。
台頭著しい新興一派の者よりも。 噂に聞いた『あの者』よりも。

「……ふぅむ」

大僧正が思案げな様子で肯く。穏やかだが深い瞳に射すくめられて、鷹比佐は動くことも叶わない。
やがて大僧正は、いたわるような優しい声で問う。

「江戸で新たに生まれた、若き羽織役のせいじゃな?」

やはり見抜かれていた。 鷹比佐は己の卑小さを見せ付けられたようで、暗然と唇を噛む。
人と妖の間に生まれた青年。 齢わずかに二十。
白と赤の従属を従え、このほど江戸を掌握する妖の羽織となったという。
その若さも、半妖という生まれつきも、もって羽織を任ずるに未曾有である。
いま一人の羽織である嘉祥ですら藍丸の力を認めていると聞くに及んで、鷹比佐は、激しい焦燥と対抗心に取り憑かれた。

負けたくない。 若き羽織役に。

ただこの一心なのだが、しかし、あまりに子供じみていて認めるのが口惜しい。

「羽織役と己を引き比べてどうする。おぬしは天狗、妖とは違うのだぞ?」
「……ですが、この山で妖の跋扈を許さず、神域を護ってこられたのは、嘉祥に伍する力が我らにあったからこそ。そのような若き羽織、いつ我らに戦いを仕掛けてくるか知れたものではありません」

もっともらしく口答えをしてみたが、苦しい建前である。案の定、大僧正には一言でぴしゃりとやられた。

「やめぬか、鷹比佐。白々しい」
「……」
「おぬしの負けん気の強さ、儂が知らんと思うか。洟垂れ小僧の時分から手塩にかけて、いまや息子も同然じゃ。おぬしの心の裡なぞ、手に取るように分かる」
「……畏れ入りました」

同じだ、と鷹比佐は思う。
赤子の頃から育てた背黄犀なら、顔を見ただけで何もかも分かってしまう。大僧正も同じように、鷹比佐の屈託など一から十までお見通しなのだ。
気負っていた己が急に馬鹿馬鹿しくなって、鷹比佐は虚脱した笑いを浮かべた。

「よし、憑物が落ちたようだの。虚心であることが肝要、分かるか?」
「はい。……実感はいまだ伴いませんが」
「いずれ悟る。急ぐな、鷹比佐」

いずれとは、いつだろう。 若い鷹比佐の未来は、とりとめがないほど拡がっている。遥々と、洋々と。

「ところで、鷹比佐。弟分に気遣われるようでは話にならぬぞ」
「……っ、……め……面目次第も……」
「まずは着替えて、隠した傷を背黄犀に手当てして貰え。背黄犀には打ち身によく効く膏薬の調合を教えてある」
「はい、大僧正様」
「明日の朝、おぬしの修練に立ち会ってやろう。その鷹の羽根に能う限りの法力を込め、おぬしが使える最も強い術を見せてみよ」
「はいっ!」

鷹比佐の表情から曇りが消えている。
いかにも勝気な瞳は強い輝きを放ち、大僧正は、その美しさに一瞬見惚れた。
鮮やかな笑みを残し、鷹比佐が去っていく。泣きべそをかいている背黄犀を宥めるために、宿房へ急ぐのだろう。

「やれ、世話の焼ける」

庭に残った大僧正は、溜息をつく。
まったく世話が焼けるが、鷹比佐の笑顔には弱い。あの笑みを取り戻すためなら、何を措いても力付けたくなる。
おかげで鷹比佐の負けず嫌いの度が進むと、古参の天狗達に散々ぼやかれている所以だ。

「とは言え……確かに件の羽織役には、鷹比佐ならずとも興味が沸くのう……」

大僧正の見るところ、鷹比佐は天狗として百年に一度の逸材だ。
ことによると大僧正を超える天稟を備えているかもしれぬ、とさえ思う。
その鷹比佐が己を苛んでしまうほど、妬み羨み勝ちたいと思わせる、若き羽織。

焔を使う半妖、その名は藍丸。 かれをして羽織たらしめているのは、何か。

ただ強大な力ゆえか、それとも――。

「まずはその顔、見てみるかの……」

力にもの言わせるだけの若者であったなら、捨て置けばいい。
そうした者は、いずれ自ら身を滅ぼすと、大僧正は知っている。

しかし、もし。 もしもその半妖が、鷹比佐と並び立つに値する存在であったなら?

「愉しみだ。長生きはするもんじゃの」

天狗らのため、鷹比佐のため。 まだまだ死ねぬわい、と、大僧正は一人呟いた。


※ブラウザバックでお戻りください


page top