私の恋人_2015館林開誕生日SS



 精霊会といい盂蘭盆会ともいう新暦8月の半ばはさすがに軍部も休暇取得を奨励するし、仕えるべき天司様の公務が激減するしで、仕事人間の館林も職からいっとき解放される。8月16日。我よくぞこの日に生まれけり、と館林は笑う。
 誕生日祝いに何が欲しい、と京一郎が問えば「おまえが祝福してくれればいい」「おまえと共にいられればいい」としか答えぬ館林は、もしや親がかりの学生の懐具合を慮っているのかと思えばさにあらず、どうやら本心からそれのみを望んでいるらしいので、京一郎は、汗もしとどに館林の歓に尽くす。館林も、夏の果実を喰らうように甘し肉に耽溺する。
 そのようにして湯島でこの日を過ごすこと、はや4度目となる。
 一夜明けて8月17日の遅い朝。
 存分に惰眠をむさぼった館林は、日も正中近くに昇った真夏の暑さに耐えかねて起床し、浴衣のざっくり寝乱れた様で階下へ降りてきた。
 京一郎はおしぼりや冷たい飴水を差し出しつつ、館林は居間の長椅子でそれらを受け取りつつ、互いに昨夜の痴態が思い出される含羞のうちに朝の挨拶をする。

【館林】
「おはようという時刻ではないな……我々が眠ったのは何時だったか?」
【京一郎】
「……覚えていません」

 夏の夜はただでさえ短くて恨めしいが、それでも確かに、幾度目かの館林の遂情を受け止めたとき窓の外は薄紫に明るんでいた。とすれば、ふたりが寝入ったというか気も絶えたのは朝の5時過ぎとおぼしく、11時に目覚めた館林でさえ6時間ほどしか眠っていない。さらに一刻も早く起きて身支度を整えていた京一郎に至っては、明らかな睡眠不足だ。
 やや重たげに腫れた京一郎の瞼に唇を寄せ、館林は気遣わしげに囁く。


【館林】
「おまえ、眼が赤いな。午睡してもいいのだぞ?」
【京一郎】
「それは寝不足のせいじゃありません」
【館林】
「ん?」
【京一郎】
「たくさん泣いたからです――貴方のせいですよ」
【館林】
「こら、こいつめ」
【京一郎】
「ああっ、駄目です。冷やし飴がこぼれます」

 他愛ない戯言を交わせるのも、3年以上馴染んだ情の濃さゆえである。
 このような相手を、世では情人とやら愛人とやら呼ぶのであろう。京一郎は男子であるから女を文字の一部に含む「妾」には相応しからず、館林から金銭的援助を受けているわけでもないから「囲われ者」にも当たらない。しかしいずれにせよ世に憚る関係ではあり、馨や館林家執事、それに館林の姉など、ごく一部の人々に黙認されてはいるものの、決して出過ぎてはならないと京一郎は自戒を忘れない――が、ここは誰にも邪魔されない、ふたりだけの隠れ家だから、戯言も睦言もふたりだけのものである。
 京一郎は巫山戯合いをふと止め、館林の胸にもたれかかって呟いた。

【京一郎】
「……午睡はしません。眠っている時間が惜しいです。それに……」
【館林】
「それに?」
【京一郎】
「目が覚めて、館林様がいらっしゃらなくなっていたらと思うと、怖くて」
【館林】
「……馬鹿だな、おまえは。そんなことをするものか。私自身、できるはずもない」
【京一郎】
「本当ですか?」
【館林】
「ああ。少なくとも、そうだな……明後日まではここにいる。だから安心しろ」

 京一郎の心は安んじた。
 この広く厚い胸で憩うことを許されて幸福だった。歓びが、言葉を紡いだ。

【京一郎】
「生まれてきてくださって、ありがとうございます」

 そのときだ。
 玄関の向こうの門前からエンジン音、ついで、鋭いブレーキ音が響いたのは。さらに数人――おそらく3人――の足音が続き、玄関扉がどんどんと叩かれた。


【館林】
「何ごとだ?」
【京一郎】
「分かりません、けど……なんだか物々しいですね」

 こんなとき体格にも武芸にも秀でた館林は頼もしいが、しかし、普段ここに住むのは京一郎であるのだから、京一郎が対応するのが筋だろう。
 立ち上がりかける館林を、京一郎はそっと制した。


【京一郎】
「とりあえず、私が出てみます。館林様はどうぞそのまま」
【館林】
「気を付けろ。何かあったら大声で私を呼べ」

 玄関へ向かう京一郎の視界に、館林の心配そうな顔がよぎる。大丈夫です、と肩越しに目配せしてみせた。

【京一郎】
「はい、どちらさま……うわぁっ!」

 扉を開けるなり雪崩れ込まれた勢いで、京一郎は上がり框にひっくり返る。呆然とする京一郎の脇で慌ただしく軍靴を脱ぐ脚は6本、やはり3人。軍靴――軍人?

【京一郎】
「えええっ?」
 

 居間から聞こえる声は罵声ではない。多分に笑いを含む声音は、どういうわけか、館林を囃し立てるものだ。

 我らにも言わず、水臭いぞ館林!
 なんだ貴様その恰好、いかにも事後という風情だなぁ!
 あれほど廓通いを固辞してきた貴様が、一足飛びに妾を囲うとは!

                         
【館林】
「な……っ、貴様ら……! 谷、植木、それに羽名……!」

 館林は居間で、軍人しかも将校3人に囲まれている。今にも彼らに胴上げされんばかりだ。

            
【谷】
「おうとも。同期の桜として、貴様の遅い春を祝いに来てやったぞ。遅すぎて真夏だがなあ、わっはは!」
【館林】
「な……な……」
【植木】
「いやあ目出度い。かねてより我々、もしや館林は不能ではと疑っていたんだが、杞憂で目出度い」
【羽名】
「はっはっは、驚いたか。今朝、俺が貴様の家にふらりと立ち寄ったら、万里子さんがおいででな。
貴様が湯島に宅を構えて、近頃もっぱらしけこんでると教えてくださったのだ」
【館林】
「姉上が!?」

 やられた、という顔の館林。
 それで京一郎もあらましを悟った。
 以前「京一郎は大切な者であるから問責も手出しも無用」と言い切られた姉・万里子が、いったんは館林の剣幕に圧されて引き下がったものの実は弟の反抗を根に持っており、折よく逢った館林の同期生へ事実を微妙に誇張かつ歪曲して吹き込み、留飲を下げたのだろう。


【谷】
「で、俺と植木が召集を受けてな。すわ館林の男子の本懐遂げるを祝おうぞと、こうしてやってきたわけだ。どうだ、嬉しかろう?」
【植木】
「盆休みでなければ練兵場に乗り込んで祝砲を打ちたいくらいだぞ。おっと館林、貴様は主砲をどかんと一発撃ったばかりだったな」
【羽名】
「この呆けた顔からすると、一発どころじゃなかろう。最新鋭八九式カノン砲なみの連射と見た、わはは!」
【谷】
「すると毎分一発か!」
【植木】
「口径15センチか! 同期一の巨根が役に立ってよかったなあ!」
【羽名】
「うわははは!」
【谷】
「わーっははは!」

 いやはや、聞きしにまさるバンカラぶりである。あまりといえばあまりな下品さと勢いに、京一郎も館林も、一言すら挟めない。

【館林】
「う……うー……」
【植木】
「さあさあ、石より堅いおまえを籠絡した美女を一目拝ませてもらおうじゃないか。
置屋も多いこの辺りに住まうくらいだ、さぞや婀娜な妓だろうな?」
【谷】
「いや待て。万里子さんによるとだな、それはもう甲斐甲斐しくいじらしく館林に尽くしているらしいぞ。となると、まったく素人の娘さんに手を付けたのかも」
【羽名】
「何ぃ、果報な奴め! ますます見ずには帰れんな。おい、そこの書生どの」

 と、いきなり戸口に立ち尽くしたままの京一郎に矛先が向く。


【京一郎】
「え、は……わ、私、ですか……?」
【羽名】
「そうとも。この家に住む麗人は何処におられるかな?」
【京一郎】
「はあ、あの……麗人というか、ですね……」

 さては将校たち、京一郎を妾宅の使用人と早合点しているようである。京一郎がへどもどするうち、将校たちはさして間数もない1階をひとわたり見廻して、階段があるのに気付いた。


【谷】
「お、この家には2階があるらしい。さては……」
【京一郎】
「……!」

 全身の血が、さっと足もとへ下りていく気がした。
 彼らの読み通り、階上には褥がある。しかも館林が起き抜けて、快楽の痕跡も生々しいままの。

 ――厭だ……。


 妾の囲われ者のと呼ばれることはいい。それが女人だという誤解を受けても致し方なしと思える。だが、褥を見られることだけは、どうしてだか耐えがたい。館林とはぐくんできた情を土足で踏み荒らされるような気がして、我慢ならない。
 出過ぎるまいという自戒を忘れ、京一郎は一歩踏み出した。館林の大切な友人たちを阻止するために。
 だが。

【館林】
「いい加減にせんか、貴様ら!」

 窓硝子が震えるばかりの嚇怒熱罵。
 一同振り返ると、怒りに燃える眼で将校たちを睨みつける、仁王立ちの館林がいた。将校たちは、笑顔を凍りつかせたまま固まる。京一郎も固まる。

              
【館林】
「ここは妾宅などではない!
 この家のあるじは、断じて貴様らが好き勝手に辱められるような人物ではないのだぞ!
 それを……それを――……この無礼者どもが、手打ちにされたいかっ!」
【谷】
「い、いやその……我々は何も、悪気があってのことではなく……」
【館林】
「やかましい! 貴様ら、そこへ直れ! 全員、この家のあるじ――柊京一郎に詫びろ、今すぐ!」
【植木】
「え……ええ? この、書生……?」
【館林】
「私の恋人に詫びろ!!」

 かくて京一郎は、3人の将校揃っての土下座を受ける羽目となったのだが、この話には後日談がある。  

 1週間ほど置いた、館林の次の訪いの夜。
 ボンボン、マロングラッセ、ウヰスキィ、そして色とりどりの薔薇が居間のテェブルを埋め尽くしていたのである。

              
【館林】
「京一郎……これは、一体……」
【京一郎】
「谷さん、植木さん、羽名さんからの頂きものですよ」
【館林】
「何!?」
【京一郎】
「あのあと、お一人ずつここへお見えになって置いて行かれました。私のほうがいたたまれなくなるくらい丁寧にお詫びくださって」
【館林】
「あいつらが……」

 そうなのである。
 彼らはそれぞれ長身を縮こまらせて詫び、ほとんど京一郎に押し付けるようにしてこれらの品を置いて行ったのだった。
 しかも。
 別々に来ていながら、まるで示し合わせたように異口同音、去り際言うことには――「館林をよろしく頼みます」。

【京一郎】
「いいお友達をお持ちですね、館林様」
【館林】
「……しかし何故、どれもこれも私の好物ばかりなのだ……」
【京一郎】
「さあ? お友達からのお誕生日祝いと思われてはいかがですか?」


大正メビウスライン
文:中条ローザ